平成元年に移住してきた森さん。その優しい雰囲気に周囲は和みます。しかし森さんがいったい何のために熊野に移住し、何を目指して生きているのか…。多くの人にとっては「謎に包まれた」人物。熊野での淡々とした生活ぶりを今回はじっくりと聞くことができましたが、対照的に熊野に来たきっかけは実はものすごくドラマティックなものがあり…。

今回聞いた全てをここで語ることができないのがとてももどかしいです。森さんのおっとりとした雰囲気からは想像もできないような波乱の人生の全てをお伝えすることはできませんが、現在の淡々とした生活ぶりをどうぞお楽しみください。


熊野川町に移住したきっかけ

ーそもそものきっかけを教えてください。

それが問題なんですよ。今日もニュースでやってたけど国会議員の人が「不適切な関係」で辞職すると言ってましたね。実は私もその「不適切な関係」でここへ来たんです。具体的にいうと、子供もいる既婚女性と「不適切な関係」になり、二人で旅立ったのです。俗に言う駆け落ちですね。住むところさえあれば、どこでもよかった。新天地を求めていました。彼女と日本地図を見て、この紀伊半島の南の方になんとなく行きたいねなんてはなしをしていました。そしたらたまたまその頃知り合った大学生の人から「熊野川町に面白いお坊さんがいる」と聞き、空き家になっていたその方の家を少しの間使わせてもらいました。

ーえええ、いろいろききたいんですけれども。移住者インタビューなのであまり深く追求せずにおきます(笑)移住までの経緯などを教えてください。

熊野川町に移住したのは平成元年、40歳のときです。それまでは学習塾の教師や牛乳の配達などをしていました。若い頃から田舎暮らしに興味があり、29歳の時「人と土の大学」というものに、当時一緒に暮らしていた女性と二人で参加しました。「人と土の大学」は富山県の山奥にあり、そこで1年間暮らしました。しかし富山でも女性関係でトラブルを起こしてしまいました。

ーも、もりさぁぁぁぁん!!!

こっちにくるのは「駆け落ち」で、そのときは「掛け持ち」で逃げるように山を降りてきました。私の人生の貴重な経験です。

ー森さん、最高です。

その後は新聞配達などフリーター生活。月に6日くらい働けばじゅうぶん生きていけました。夢みたいでしょ。当時は「フリーター」という言葉もなく、田舎から都会へ若者が流出していた時代。まわりには「なんともの好きなことをしているんだ」とよく言われたものです。でも自分は「田舎暮らし」とかフリーターというのを先取りしている感覚があって、「自分は時代の一歩先を歩いているから理解されなくて仕方ない」と田舎道を歩きながら思っていました。

ー(ここで「そうだ、昔の写真を」といってNAGIという雑誌を取り出す森さん)

ーこれはなんの記事ですか?

三重県の芦浜に原子力発電所が建設される計画がずっとあり「原発いらない三重県民の会」というのがあって。その活動をしていた頃の写真が載っています。髪の長さはいまでも一緒なんだけど何故か髪型が変わってしまって…

ー活動家だったんですか。

それほどでもないですけど。ただ市民運動していただけです。いろんな人が一生懸命ビラ配りなどをしてました。途中で抜け出してこっち(熊野川町)に来ちゃいました。

 

熊野川町を出て行けなかったはなし

ー家探しのエピソードを教えてください。

お坊さんのところには1週間ほど滞在していました。そこに寝泊まりして、ひたすらあちこち歩きまわりました。とにかく早く家を探したかった。那智勝浦町、色川、本宮、紀和町なども行ってみましたが、あるとき「このあたり(お寺の付近)で探してみよう」ということになり二人で歩いてみたらなかなかいい雰囲気のところでした。たまたま空き家が見つかって、地元の人に尋ねたらどうやら家主さんは京都で旅館をしている人らしく、泊まったら話せると思って会いに行きました。そして僕たちの姿をひとめ見て、事情を話したら「どうぞ使ってください」と。二つ返事でした。よっぽど困ってる様子だったんでしょう。それかみすぼらしかったか。ここで断ったら行き倒れになるんじゃないかって。家賃もいりませんと言われました。家主さんは当時80歳くらいでしたから、もう死んだのかな。

ーえ、家主さんが亡くなったかどうかも知らぬまま借り続けてるんですか!?

次の家主さんが誰なのかも知らない。会ったこともありません。家主さんから何も言ってこないし。

ーもう、持ち家のようなものじゃないですか。

ここは使用貸借(家賃を払わずに借りること)なので法律的に時効は成立しないんですよね。更に、「出て行け」と言われたらいつでも出て行かなくちゃならない。実際途中で「出て行って」と言われたことは2回ありました。1回目はこの近くに住む人が執りなしてくれて、家主さんに「まあまあいいじゃないか」と説得してくれました。2回目は近くに住む地域の有力者Sさんが間に入り、間接的に退去を命じられました。僕もちょうどいいきりだから出て行こうと内心思ってました。田んぼを作るのもそのタイミングで辞めて。そしたらものすごく楽になったんですけど。

退去は明くる年の夏までにという話で、次なる住居も町外に見つけて借りていました。このことを地域の人たちには内緒にしていたんですけど、となりのおばちゃんに「僕もうすぐ出て行くかもしれないよ」とちらっと言ったんです。「かもしれない」と言ったんです。出て行くとは言ってない。そしたら村中大騒ぎ。森さんを出て行かせるなコールが殺到したみたいです。間に入ってくれていたSさんも困って、この地域になんとか残ってもらおうとあそこはどうだ、ここはどうだと空き家を紹介してくれました。声をかける人が違うと、空き家なんていっぱいあるんだなとその時感心したんだけど。

ぼくは出て行くつもりだったからその全部を断って「この家にいられないんだったら出て行きます」と言ったのね。もう出て行くと決めてるとハッキリ言えなくて。そしたらSさんが家主さんに交渉してくれて、居られるようにしてくれたんです。それでも私出て行きますと一言いったらSさんに「俺の顔を潰す気か」と怒られて。あ、それもそうだなと思ってここに住むことにしました。

ー森さんは地域に愛されてたんですね。

そうですね。自分で言うのは恥ずかしいんだけど、きっとそうだと思う。みなさんのひきとめに会い、出て行けませんでした。

仕事のはなし

ー移住当時の生活をおしえてください。

 

来た当時は自給自足的な生活を目指して田んぼと畑をやっていました。いまほど獣害はありませんでしたから。野菜づくりはうまくやれる自信があったんだけど、実際やってみるとなかなかうまくできなくて。それでだんだんやる気をなくしました。そのうちに獣害も増えてきました。田んぼも一度やめると「こんなに楽なのか」と思ってそれきりです。それでもやっぱり梅干しとか梅ジュースとかお茶とかそれなりにささやかなこだわりの生活はしてるつもりなんですけど。

ー自給自足しながら、どんな仕事をしていたんですか?

もう今はないんだけど三輪崎牛乳っていう酪農組合があったんです。そこで牛乳の配達の仕事をしていました。若い時もそうでしたし、結構牛乳と縁があるんです。

ー配達のお仕事は週にどのくらいされてたんですか?

それが問題なんですけど、週2日です。それで月4、5万円なんだけどそれだけで暮らしてた。最初の5年はランプ生活でしたよ。いまはこんなのがあるけど(と言って指差した先にはWindowsのPC。Windows10が入っています)。

ー三輪崎牛乳ではどのぐらいの期間働いてたのですか?

半年続けられれば上出来だと思ってたんだけど、43から50だから7年間働きました。そのあと小口自然の家の宿直や受付、それからキャンプ場の管理人などの仕事をしていました。キャンプ場もひどい話で、明日オープンするという前日の夕方に「森さん管理人をやってくれないか」と言われたんです。もしぼくが断ったら代わりの人いないんじゃないかと思ってちょっと断れないなと思って引き受けたんです。それから10年間、だいたい50代の人生をキャンプ場に捧げました。親方が誰なのかわからない時期もあって、「辞めます」と言いたいんだけど誰に言ったらいいのかわからない空白状態みたいな時もあって田舎の仕組みって結構いい加減だなーと思ったりすることがよくありましたね。

その後は新宮市クリーンセンターのeco広場で働いたり、シルバー人材センターの仕事がきたり、人に頼まれた仕事をしたりしています。植樹の仕事もしていて、時間給1000円なんですよ。クリーンセンターで働く前は熊野川行政局の警備員もしていました。去年の秋から冬はウラジロを採って売る仕事もしました。

これからのこと

ーこれからの計画を教えてください。

歳も歳なので、身辺整理をして、エンディングノートなど早く書かなきゃいけないなーと。もうそれしかないです。もう先はないです私には。

ーいやいやいや、60代といったら若手じゃないですか!

ゲートボールとか誘われると「そんな年寄り臭いこと」と腹の中では思ってしまうんだけど、ああそうか自分は年寄りなんだなと実感します。

ぼくはお酒が好きで、それこそ昼間からお酒を飲んで顔を赤くしてることが多いんですけど、こういう家だと助かるんですよ。表に出た途端に昼間から飲んでるなんてバレることがないですから。そうやって引きこもりがちになるんですけど、運転手を頼まれて出かけたりというのがあるとお酒も飲めないし、お金も使わないし、ちょうどいいかもしれない。いま楽しい生活をしているから、この生活が続けばいいなと思います。

それから海を見ながらぼーっと暮らしたいという希望もあります。こっからどうしても離れたいというわけでもないんだけど、最初のいきさつからもわかるように、ここじゃないといけないという理由もないですから、機会さえあればまた別のところに行ってもいいなと思っています。

ぼくの理想としている生活は、ここの綺麗な空気とか水みたいな生活。あの水と同じような生活がしたいと。

ーどういうことですか?

必ず、なくては生きていけない必要なものなんだけど、だからといって、あることを意識させない。空気はないと生きていけないけど普段息って意識して空気吸ってるわけではないでしょ。だから、そういう存在になることが私の理想なんです。もし私がここから消えた時に他の人がどういう反応をするのか知りたい。

ー森さんがいなくなったら困る人がきっとたくさんでますよ。

「どこにも行かないで」ってよく言われますよ。ほんとに。「森さんだけがたよりだ」って。結構何人かいます。でも、そういうことは気にしないで、出る時は出たいと。

昔は「森さんはお守りみたいな人だ」って言われたけど、お守りって気休めでしょう。もうちょっと重みのあるというか、保険みたいな人とか、ぐらいになりたいなと。いざというとき必要とされるような。で、普段は空気か水みたいな。というのが私の理想ですがどうでしょう。

 

 

 

 

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